ご案内
 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2018年06月14日

主御自身が建ててくださる

「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」(詩編127:1−2)

 ある雑誌の投稿です。
「聞いてくださいよ、ウチの旦那ったらどうしようもないケチで出不精。いっつも家でゴロゴロ。たまに休みに出かけようと誘おうもんなら、血相変えて怒鳴るんです。外へ出たって、やれ食事だ、買い物だと金を使うだけじゃねえか。その上体力も使う。
外へ出りゃあ、事故の心配もしなきゃならん。家で寝てるのが一番なんだ!ま、今はまだ良いんです。アタシも仕事で疲れている旦那を無理に誘うつもりはありません。でも、将来を思うとネ。退職してもゴロゴロして、そのうち生きてたってつまらねェ、なんて言い出すんじゃないかと思って・・・」

 いまだに安心しきれない原発事故処理の行方、また、納めきることのできない汚染土、そして、異常気象の続く日々、考えてみると未来に何の展望もなくなってくるような状況が私たちの周りにあります。この投稿に登場する夫婦のため息が聞こえてくるような現実があります。
確かに、この世界に神さまがおられなかったら、絶望するしかないですね。「そのうち生きてたってつまらねェ」と言いたくなる気持ちが、よく分かります。
 でも、聖書はそうした中で主御自身が働きを始め、それを完成してくださることを教えています。
神さまは、始めてくださった善き業をキリストの再臨の日に必ず完成してくださいます。ですから、たとえ私たちを取り巻く現実が心配だらけであったとしても、御心が必ず成ることを信じ委ね、眠ることが許されているのです。
このこと、忘れないでくださいね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年06月 | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

何よりもまず、神の国と神の義を!

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)

 こんな話を読みました。
 ある日、入園に備えて、園長先生が4歳の子とそのお母さんの面談をしました。最初に園長先生が、緊張をほぐすことを目的に次のような質問をしたそうです。
 「いずみちゃん、いま、いくつなの?」
 4歳のその子は、戸惑った面持ちでお母さんの胸のあたりを指でつつきながら「おかあさん、ね、あたしいくつなの?」と小声で言いました。
 その姿は、園長先生の眼には、あどけない、微笑ましい光景と映りました。
 ところが、その瞬間にお母さんの表情がサッと変わったのです。そして、「先生、ごめんなさい」と言って、「実は昨日、この子を連れてディズニーランドへ出かけ、この子に3歳だ、と言わせたのです。」
お母さんは涙声になって、「もうこんなこと2度としません」と語ったのです。

 以前、神田英輔先生から「神の国」とは「神の主権がおよぶところ」と教えていただきました。神さまの価値基準に従って物事が動いているところは、そこに神さまの国があるからです。
 私たちの時代、ともするとどんなことでも「損か得か」で判断してしまうことがあります。神さまの価値基準、すなわち聖書の教えに従う代わりに、自分が得することを最優先してしまうことがあります。
 そんな私たちにイエスさまは言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と語られ、私たちのすることと、神さまがしてくださることを混同しないようにと教えてくださっているのですね。
 「損か得か」はこの世の価値基準です。でも神の国の価値基準は、常に神さまの御心が表されること(神の国)と、神さまとの正しい関係(神の義)にあるのですね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 07:29| 2018年06月 | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

嶺岸先生との出会い

「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12:2)

 高座教会で礼拝堂の献堂感謝式を行った時、遠い気仙沼から嶺岸浩先生と泰子夫人が献堂の祝いの礼拝においでくださいました。
東日本大震災の後、淀橋教会で行われた東日本大震災復興祈祷会に行ってきました。その日は、高座教会のボランティアチームを受け入れてくださっている気仙沼第一聖書バプテスト教会の嶺岸浩先生と奥様がメッセンジャーとして招かれておられました。
気仙沼第一聖書バプテスト教会は、2年前に建設したばかりの礼拝堂を、この時の津波によって流されてしまったのです。先生ご夫妻も牧師館が流されてしまったために、仮設住宅で暮らしてこられました。

 嶺岸先生は、大の本好きだそうです。蔵書の数も5千冊ほどあったそうです。ところが、それが全部津波で流されてしまった。手もとに残ったのは聖書のみとなったそうです。私も牧師ですので気持ちが分かりますが、書物と言うのは牧師の商売道具です。
今まで数多くの書物を通して養われ、神さまからの視点をいただきました。そうした中で、それら全部がなくなって聖書だけが残された。
嶺岸先生は「お前はイエスさまだけに頼るのか」と問われた思いがしたと証ししておられました。そして「そうだ。イエスさまが居てくだされば大丈夫」という確信をいただかれたそうです。

 湖を歩くように招かれたペトロもイエスさまを見ているときは沈まずに歩くことができました。しかしイエスさまから目を離した途端に彼の体は沈みかけたのです。信仰の創始者また完成者であるイエスさまを見ていれば大丈夫だと聖書は教えるのですね。
津波によって礼拝堂が流されてしまった気仙沼第一聖書バプテスト教会ですが、新しい礼拝堂が神さまによって整えられ、2015年4月29日に献堂式を行うことが出来ました。今も宣教の業を進めています。先生たちのことを覚え、今日も祈りましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年06月 | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

神さまへのありがとう

「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」(コロサイ4:2)

 西武の菊池雄星がプロ2年目にして、念願の初勝利を手にすることが出来ました。
 岩手・花巻東高時代に甲子園を沸かせたヒーローが、西武に入団した直後、なかなか一軍にあがってこない。後でわかったことですが、コーチに恐喝され暴力を振るわれていました。
そうしたことを乗り越え、やっと1勝することができました。待ちに待った1勝だったと思います。
 さて、その彼ですが何度も「野球を辞めたい」と思ったそうです。そんな時は、練習に練習を重ねて力をつけることと、そうした後ろ向きな思いを振り切ることに心がけたことでしょう。
そうした中で、彼がしていた心のトレーニングがありました。それは、高校時代のアルバムを見て、良かった頃のイメージを取り戻すことと、ノートに前向きな言葉を書きとめることに力を注いだそうなのです。
それも寝る前に1時間、マイナス思考にならないように必死でノートに向かいました。それが日課になったそうです。

 ところで、以前、「ありがとう日記」のことを書かせていただきました。覚えておられますか?
 実は、「ありがとう日記」の効用は、菊池選手に限らず一般社会でも言われ始めています。例えばメンタルトレーナーの西田文郎氏も次のように語っています。
「ありがたい、ありがとう、という気持ちになると、どんな否定的な脳も肯定的な脳に変わり、目の前の状況をポジティブに受けとめ始める。」

 実は、クリスチャンの強みは単なるメンタルな効用を超えて、全ての「ありがとう」の背後に、創造主であり愛なる神さまがおられ、その神への信仰というものがあります。
つまり、全ての「ありがとう」が単なる空しい独り言ではなく、神さまへの「ありがとう」に通じる祈りであり、神はその祈りに応え、あなたを力づけてくださるのです。
 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年06月 | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

忙しさの中で

「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。」(ルカ4:42)

 以前、社会人になったばかりの息子が、新入社員研修合宿からぐったり疲れて戻ってきました。
 その研修会で、午後10時に集合がかかり、翌日の朝8時までに仕上げるようにと課題が出されたそうです。息子たちのチームは、夜中の3時すぎまでかかって課題を完成させたそうです。
そのことを同じ会社に就職した大学の先輩にメールしたら「自分たちの時は朝5時までかかった」と返事があり、返す言葉がなかったとつぶやいていました。
 社会の一線で働く人々は確かに忙しいです。また主婦の方も家事や子育てに追われています。そうした忙しさの中で、緊張とストレスで一杯になります。
そして、残ったほんのわずかな時間のすべてを、例えば、テレビ、ビデオ、雑誌、パソコン、ショッピングなどで、気分転換に使ってしまうことだってあります。
 でも、そうしたことで満足できるか、と言いますと、決してそうではありません。本当の癒し、本当の安らぎはなく、また仕事や家事に戻っていくだけです。
 ですから、ある人は、そうした忙しさの中にある私たちの姿を「緊張した忙しさと弛緩した気晴らしを往復しているだけにみえる」と表現していました。

 ところで、イエスさまも同じように忙しい毎日を送っておられました。
しかし、そうしたイエスさま緊張した忙しさと弛緩した気晴らしを往復しているだけにみえる生活への誘惑から守ったのが神さまとの交わりのひと時、私たちにとっての御言葉と祈りのひと時だったのです。
 イエスさまは忙しければ忙しいほど、祈りの時間を大切にしていました。そこでイエスさまが得ていた恵みの1つ。それは、平安と癒しでした。
 イエスさまが祈りの時を大切にしたように、あなたも忙しい生活の中で、神さまから知恵をいただき、工夫しつつ、祈りの時を持ちたいと思いませんか?!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年06月 | 更新情報をチェックする