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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2018年04月30日

目標めざして

「兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ1つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、
お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13−14)

以前 D.W.F.ワング著、『最後まで走り抜け―聖書登場人物13人に学ぶ意義ある人生の各章を締めくくる鍵』という本を読みました。
この本には、信仰生活を最後まで全うすることが、それを始めることに比べて難しい、ということが語られ、最後まで走り抜くための教えが聖書から導き出されていました。
その一部を、次にご紹介したいと思います。

 「中国のことわざに、『木を植える最良の時は、20年前であった。次の最良の時は、今である』とあります。過去に立派に終えたかどうかにかかわらず、最後まで走り抜くために、私たちはいつでも今始めることができます。
最後まで走り抜くことを願って始めるのです。マルチン・ルターは、まったき永遠の中で重要なのは、この日と、かの日のほんの2日だけであると教えています。
かの日に、神の御前にどのように現れたいのかをいったん決断するならば、この日にどのように生きるかも私たちは決断することになります。最後まで走り抜くことは、将来に考えることではなく、現在執着すべきことなのです。」
 確かにパウロも、将来、神さまの御前に立つときに、どのような姿で立ちたいかを心に描き、そのような姿で立つために、今、すべきことを祈りつつ選び取る生き方をしていました。そのことを記したのが今日の聖句です。
「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために・・・」、確かに、ゴールが定まらなければ、その歩みは単なる迷走ですね。

 今日のあなたの歩みは、どちらの方向に向かって進んでいますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年04年 | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

油の備え

「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』」(マタイ25:8)

 イエスさまの話に、愚かなおとめと賢いおとめがでてきます。
どこが違うのでしょう? それは余分な油の用意があったかなかったかの違いでした。

 ところで、ともし火は目立つものですが、油は周囲からは隠されています。でも目立たない油が切れると火は消えるのです。
日頃、私たちは人々の目に映るところで生活します。会社で働き、地域社会で活動し、教会で奉仕します。それはともし火のように周囲から見える部分です。
でも、その見える部分を支えているのが見えない油の存在です。しかも見えないだけでなく他の人が代わって用意できないものです。そのような意味での油にあたるものは何でしょう?
それは「関係」というものです。

 人間は「私とあなた」という関係がなければ生きられないようになっています。「私とモノ」との関係だけではやっていけない。それが「人と人との関係」、夫婦の関係や親子の関係、家族の関係や職場や学校での人間関係です。
場合によっては「自分自身との関係」ということもあるでしょう。自分の心や体をどうメンテナンスしているか。自分が抱える心配事や悩みとどう向き合っているか、そうした意味での「自分自身との関係」。
そしてさらに、聖書は、目に見えない大切な油の1つとして、「神さまとの関係」についても教えています。
 逆にこの油の備えがない時に、必ず行き詰まります。場合によっては、そうした関係までも犠牲にし、見える世界での成功を求め、芯を焼き切ってまで灯そうとする。それが私たちの抱える課題の1つです。
イエスさまは、夫婦の関係や親子の関係、そして神さまとの関係を、油にたとえ、他の人があなたに代わって準備することのできないものとしてお語りくださったのです。
あなたの油の備えは大丈夫ですか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年04年 | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

方向転換

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
(ルカ15:7)

 ある時、ファリサイ派の人たちは徴税人や罪人たちがイエスさまのところにやって来て食卓を共に囲んで喜んでいる姿を見て、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と批難しました。
つまり彼らの心の中には、どこかで自分は奴らとは違うのだ、自分はOKだけど、彼らはダメな人間なのだ、というような思いがあったのではないかと思います。
 これに対してイエスさまは、「言っておくが、このように、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」と語られたのです。
 これはイエスさま一流の皮肉ですね。自分は正しいと自分で思っているに過ぎない。そのように、別に神さまを信じなくてもやっていけると思っている人には、悔い改めはおろか、神さまが居ても居なくても関係ない、ということになります。
 でも本当に自分の弱さや自分の無価値さに打ちのめされているような、それこそ、自分は他の人と違って迷い出てしまったのではないかと思えるような人が、その弱さのゆえに、その無力さのゆえに、悔い改めて神さまを発見することが出来たら、
それは本当の意味で神さまが一番喜ばれることなのだと、イエスさまは言っておられるのです。

 ファリサイ派の人や律法学者は、徴税人を見、そしてその仲間の人たちを「罪人」と呼んでは、軽蔑していたのです。そして、そうした人たちと喜んで食事をしていたイエスさまさえも馬鹿にしていました。
でも、どうでしょう。今日の聖句を通してイエスさまは全ての人に「悔い改めなさい」というメッセージを伝えています。
 聖書の「悔い改め」とは「方向転換する」という意味です。

 今日のあなたの歩みは、神の方向を向いていますか? 一度、確認してみてくださいね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年04年 | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

自分を受け入れること

「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
(ルカ2:49)

 想像ですが、婚約中にマリアが妊娠したことはナザレの人々の多くが知っていたと思われます。小さな村ではスキャンダルのような出来事でした。
そうした背景を持って誕生し、それを背負って成長されたとすれば、イエスさまは、いつ、どのようにして、ヨセフが実の父ではないことを知ったのだろうか、と思います。
マリアとヨセフが出生の秘密を説明したかもしれませんが、誰かが不用意に話してしまった可能性だって否定できません。仮にそうだとしたら、少年イエスさまの心には少なからず動揺があったように思います。
今日の聖句は、そうした12歳のイエスさまの口から出た言葉です。そこには「実の父親は誰なのか?」という深刻な問いがあったと思われます。

 ところで、誰もが親から良いものも悪いものも受けて生きています。イエスさまと同様に生みの親と育ての親が違う人であったり、実の親であってもその関係の中で愛されず、認められなかった経験があったり、
場合によっては虐待されたりして、未だに痛みを引きずって生きているのが現実の私たちだと思います。実は、そうした私たちに、今日のイエスさまの言葉は、解放の道筋を示しているように思うのです。
結論から言えば「私は誰なのか?」という問いを確認する大きなポイントは、親から自立することです。余談ですがこの後イエスさまはナザレで両親にお仕えになりました。
そうできないと「あんな親に育てられたから、こうなってしまった」という思いから逃れられず、幾つになっても親との関係で拒絶や承認を繰り返し経験し続けるからです。
神殿で、肉親を超える存在である神の御前に立った時に、イエスさまは本当の自分を発見されました。そのことこそが、本当のあなたを発見し、本当のあなたへと解放される出発点となります。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年04年 | 更新情報をチェックする

2018年04月24日

恐れるな

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
・・・だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。
『恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。』」
(イザヤ41:10,43:1−5 新改訳)

 主なる神さまは「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」と言って、神さまが共におられる現実に心の目が開かれ、恐れから解放されて平安の内に過ごすようにと、繰り返し、語りかけてくださっています。
 イエスさまが、同伴者として、どんな時でもいつもあなたと一緒にいてくださる、ということは、どんなに大きな恵みでしょうか!
 今日、戸惑うことや、あるいは尻込みするような出来事に遭遇したならば、
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」という約束を思い出し、
あなた自身の心に語りかけてみてください。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年04年 | 更新情報をチェックする