ご案内
 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2018年02月28日

悪い言葉を口にしない

「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4:29)

 ある人がこんなことを言っていました。すれ違いざまに捨て台詞(ぜりふ)のように、「また太ったね」とか言う人がいるそうです。〈余計なお世話だ〉と心の中でつぶやきはしますが、口に出して言い返すことができません。
そんなことを考えているうちに、相手は通り過ぎて行ってしまいます。「悪い言葉」を口にすることで、このように嫌味を言って人の心を腐らせてしまいます。
 「悪い言葉」とはギリシャ語で、「相手を腐らす言葉」のことです。人の心を腐らせ、萎えさせる言葉。不信仰な言葉です。人を励まさない言葉です。
 毎日、ストレスの多い忙しい生活を送っている私たちは、ともするとストレス発散のために相手を腐らすような「悪い言葉」を語ってしまうことがあります。でも聖書はそうした言葉を「一切口にしてはなりません」と強調します。
 その代わりに、神さまの恵みを感じ、ぶどうの木であるキリストにつながるようにと導く言葉、言い換えれば「その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語りなさい。それも、のべつ幕なしではなくて「必要に応じて語りなさい」と勧めるのです。

 ところで、あなたは「そんなの無理。1日、2日は我慢できても、どこかで発散しないと、いつか倍になって爆発してしまいます」と言われるかもしれません。
 では、どうしたらよいでしょうか。「避雷針」となる信仰の友を持つことです。その方にあなたの気持ちや積もり積もった思いを聴いてもらうことです。そしてもっと良いことは、イエス様にあなたの気持ちを聴いてもらい、受けとめていただくのです。
 その結果、あなたの口から次第に「悪い言葉」が消えていくことでしょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年02月 | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

天国での記念撮影

「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(1コリント15:58)

 私の友人チェイ先生が、韓国オンノリ教会の英語部の牧師をしていた頃の話をしてくれました。
 ある時、同じ規模のサラン教会のスタッフとサッカーの試合をしたそうです(2つの教会とも信徒数2万人以上の大教会ですのでスタッフも大勢います)。
相手のサラン教会はユニフォームを揃えていましたが、オンノリ教会にはありませんでした。見かねたオンノリ教会の長老がチーム全員のためにユニフォームとシューズを新調してくれたそうです。
当日、ゲームは相手にリードを許す展開でした。チェイ先生はベンチで出番を待っていましたが、替えてもらえる気配がありません。その後、試合は逆転オンノリ教会が勝利しました。
でもチェイ先生はその勝利を手放しで喜ぶことは出来ませんでした。なぜなら、最後まで出番がなかったからです。
試合後、皆で記念撮影をしました。泥だらけのユニフォーム、顔は汗でびっしょり。髪も振り乱した状態での記念撮影でした。でもチェイさんだけは新品のユニフォームと新品の靴。髪もきちっと整っています。
彼は今でもその写真を見るたびに〈プレーしたかった。みんなと一緒に泥だらけのユニフォームとシューズで写りたかった〉と悔しい思いになるそうです。

 チェイさんは話の最後を次のように締めくくっていました。
「生涯が終わり、天国で兄弟姉妹たちと一緒に記念撮影をするとしたら、あなたはどんな姿で写りたいですか?」と。
 この地上の生涯は、召される時をじっと座って待つためのベンチではありません。あなたはどんな姿で天国での記念写真に写りたいですか?

 今日も人生の新しい1ページをスタートするあなたに、God Bless You! 神さまの祝福がありますように!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年02月 | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

光の子として輝くために

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8)

 震災の年、春の選抜高校野球の開会式で岡山県代表創志学園高校の主将が宣誓しました。
 「人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています!」と。また、被災地の子どもたちが、卒業式で「僕たちは、決してあきらめません。この困難を乗り越えていきます。そして強い人間になっていきます」と語りました。
 そうした子どもや若者たちの姿に勇気づけられますよね。

 こんな話も耳にしました。ある牧師がアメリカの方からよく「日本はなぜ戦後、あの焼け野原から奇跡の復活ができたのか」と質問を受けるそうです。するとその牧師は必ず次のように答えるそうです。
「それは日本人みんなが明るい未来を描き続けたからです。日本語ではtomorrow(明日)を『明るい日』と書きます」と。

 ところで聖書は、クリスチャンのことを「光の子」と呼びます。それは、神さまの恵みと平和(シャローム)の光を受け、その輝きを周囲に伝播していくようにと召されているのがクリスチャンだからです。
 大人だけではなく子どもたちも、被災地の人たちに一日も早く笑顔が戻るようにと「光の子」として神さまの輝きを届けています。
 今日、あなたも神さまの輝きを届けるために、職場や家庭、また学び舎に遣わされていきます。そのためには主の御顔の光を受けることが第一です。まず光なるイエスさまに心と体を向けていましょう。そうすれば主があなたを「光の子」として輝かせてくださいますから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年02月 | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

御言葉と祈りに生きる

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)

 今年も、私たちは「御言葉と祈りに生きる」ことを大切なこととして歩んでいます。神さまは、私たちの歩みの一歩一歩に、その都度、必要な御言葉を備えてくださいます。
ダビデは、そうした御言葉のことを「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」と告白しました。この悲しく辛い出来事の中にも、深い意味が隠されている。
そして、いつかその意味を知る時が必ずやってくる、という約束の御言葉です。
エゼキエル14章23節には、「わたしがそこで行ったすべてのことは、理由なく行ったのではないことを知るようになる。」と書かれています。
今年も、あなたの周りに様々な出来事が起こったことだと思います。
思いもかけない出来事と、それに伴う思いや葛藤を、主の御手に委ねて過ごしてこられたのではないでしょうか。
 御言葉はサーチライトのように何十メートル先を照らすようなものではありません。むしろ様々な現実の出来事に直面する中、躓くことなく、主の道を選ぶことができるようにと足元のほんの少し先を照らしてくださるのです。
そのようにして神さまは、聖書の御言葉によって、その都度、次の一歩を示し、導いてくださいます。ですから、その日その日に御言葉をいただくことが大事なのですね。
 ここ数年、異常気象が言われ、今まで経験したことのないような大型台風など、あちらこちらで起こり、私たちの生き方を根底から問い直すようにと神さまから問われているような、私たちの世界です。
そうした今だからこそ、次の一歩を照らしていただく御言葉の光を、光なるイエス・キリストを求めていきましょうね。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年02月 | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

私たちは神の作品

「あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。・・・
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。あなたの御計らいは/わたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても/わたしはなお、あなたの中にいる。」(詩編139:13、16−18)

 展覧会に行くと、抽象的過ぎてどのように鑑賞してよいか分からないような作品に出会うことがあります。でも作者による解説を読んだり、説明を聞いたりすると〈ああ、そうなのか〉と深く納得することができます。
聖書は、あなたが神さまによって造られた作品であることを教えています。あなたが誕生する前に、作者である神さまの御心の内に、すでにあなたを形づくるための青写真がありました。
青写真を描き、その青写真に沿って形づくる方は最高のお方です。そのお方が心を込めて造られた後、出来上がった「あなた」という作品を御覧になって「何と素晴らしいもの!私はこれを喜ぶ!」と絶賛なさったのです。

 ところで、そうは言われても、と戸惑われるかもしれません。神さまが感じる素晴らしさや喜びを共有できないもどかしさを覚えるからです。いや、それどころか〈何故、私はこうなの?〉と不満すら感じてしまうかもしれません。
もしそうだとしたら、しばらく神さまの御前に静まって、あなたを「今のあなた」のように造られた、そのお方に訊いてみてはいかがでしょうか? 何故なら、その答えは、作者である神さまの愛の御心のうちにあるのですから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2018年02月 | 更新情報をチェックする