ご案内
 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年09月29日

神を信頼する

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
(ルカ1:38)

 今日の聖句は、受胎告知の後のマリアの祈りです。この祈りは「委ねる祈り」の最高の表現だと言われます。
 マリアは天使ガブリエルのお告げを受けて戸惑い悩みます。それは当然です。
もし現実にそんなことが起こったとしたら、彼女の将来が全く違う展開を強いられ、大変な苦労が押し寄せてくることが予想できるからです。
ですから彼女は苦しみました。でも最終的に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と委ねて祈っています。

 この言葉を見ますと、大切な2つの認識があります。
1つは「自分は神さまにとってどのような者であるか」という自己認識、もう1つは「神さまは私にとってどのようなお方なのか」という神認識です。
それを一言で言えば「主とはしため/しもべの関係」です。

 私たちの多くの悩みは、自分の思い通りにいかないことのゆえに生じる悩みが多いのではないでしょうか?
私たちは「こうなりたい。こうして欲しい」と、様々な願いがあります。
でも神さまがこの世の主であることを認める時に、初めて自分が本来どのような存在なのかを知らされます。それは「しもべ」ということです。
その結果、神さまが主人ですから、主人である神さまのご指示にそうことが、私たちのなすべき分だと分かります。

 でも、長く信仰生活を送っている人であるにもかかわらず、マリアのような祈りをしたら大変なことが起こってしまうのではないか、という恐れや不安を抱いている方がおられます。
なぜそうした不安や恐れがあるのでしょうか? それはお仕えしている神さまが善きお方であることを信頼していないからですね。
もしあなたの中にそうした恐れや不安があるならば、御言葉と祈りをとおして神さまを深く知ってください。その恐れが自然と消えていきますから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年09月 | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

聴く祈り

「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル上3:10)

聖書を読むことと祈りを捧げることは、ちょうど呼吸をするようなものです。
キリスト教の伝統には、その両者を「祈り」という行為でくくって考える考え方があります。

 例えば、最近、プロテスタント教会の中でも行われるようになりました「レクティオ・ディヴィナ」という聖書の読み方があります。
これは古くは紀元300年頃、初代教父たちによって説かれたものだそうです。
そのころはカトリックとプロテスタントがわかれる以前のことですから、私たち共通の遺産でもあるはずです。
 この聖書の読み方には4つあり、Lectio(読む)、Meditatio(黙想する)、Oratio(祈る)、そしてContemplatio(観想する)というステップを踏みながら聖書を読み、祈り、主と交わる方法です。
 こうした伝統を受け継いだ流れの中にあるカトリックの修道会では「聖書で祈る」というような仕方で聖書を読み、祈る習慣があるのです。
最初「聖書で祈る」という言葉を見た時に、「聖書を読む」なら分かるが「聖書で祈る」というのはどういうことだろと思いました。
でも、そのことに関する書物を読んで、教えられたのですが、信仰の先輩たちは詩編を読みながら、その御言葉に祈りをのせて主と交わっていたのです。
つまり「聴く祈り」という実践がそこにはあります。

 私たちも経験することですが、自分の中に言いたいことがあると人の話を聴けないことがありますね。
小グループの分かち合いの中でも、ともすると聞いている振りをして自分の番になった時に何を話そうかを考えたことはありませんか?
 聴くということは相手の話に集中すること。ですから聴く祈りとは神さまの語り掛けに集中することです。

 今日、あなたが祈る時、神さまの語り掛けに思いを集中してみてください。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年09月 | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

塩で味付けされた快い言葉

「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。」
(コロサイ4:6)

 ある人がこんな話をしていました。
 私たちがお互いに語り合う時、今起こっている出来事、今している事柄、あるいはこれからしようとする計画について語ることが多いというのです。
 つまり「何しているの?」とか「忙しい?」と訊ねては、日常の出来事を分かち合うように求めているのではないか、と。

 でも、私たちの魂の奥底で求めていることは、「何しているの?」とか「忙しい?」という問いかけではなく、
「あなたのこと、考えていたよ」とか「会いたかった」、「あなたが、ここに居てくれて本当によかった」などの言葉なのではないか、と。
 そして、どんな語り方であろうと「あなたが、ここに居てくれて本当によかった」と語り掛けることは、その人が日ごとのパンを必要としているように必要なことなのだ、と。
 確かに、言われると照れくさいかもしれません。「恥ずかしいから、いいよ」と言うかもしれません。
でも、心の中では、そうした愛と承認の言葉を、私たちは日ごとのパンのように、毎日毎日、繰り返し繰り返し必要としているのではないでしょうか。
そのような言葉こそ、あなたや私を生かす愛の言葉だと思います。

 今日、あなたの身近な方に、「あなたのこと、考えていたよ」、「会いたかった」、または「ここに居てくれて本当によかった」と語ってみてはいかがでしょうか。
ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、語る前にイエスさまに祈れば、イエスさまは必ず勇気を与えてくださるはずですから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年09月 | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

神の家族

「あなたがたは・・神の家族であり」(エフェソ2:19)

 高座教会には4世代が集まっています。今の社会では核家族化が進み、お正月や特別な機会を別にして4世代の人たちが共に集うことなど不可能ですね。
若い世代は意識しなければ、なかなかお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの世代の人と交わることもないのではないでしょうか。

 でも教会は別です。

 わたしは学生の頃、東京下町の教会に通っていました。
 ある日曜日、礼拝の後、80歳を過ぎたお歳のH姉が、献身のことで悩んでいた私の話を聴いてくださったのです。
「松本さん、もしおん出されたら家にいらっしゃい。布団を用意して待っているから。イエス様がついているし、私もついているから大丈夫。」
と励ましてくださり、祈ってくださったのです。
 H姉は戦中からの筋金入りのクリスチャンです。神さまを信じてきたのですが家族が誰も救われない。
魚の行商などしながら家計を支えて来たのに、長男や孫に嫁が来たら、今まであれだけよくしてきた自分に冷たくなってきた。
そのように証ししてはいつも涙を流していました。
 ですから「松本さん、もしおん出されたら、家にいらっしゃい。布団を用意して待っているから」と言ってくださっても、それが非現実的なことは百も承知していました。
 でも、そう言ってくださる気持ちが嬉しかった。公園のベンチで涙を流して祈ってくださるH姉との世代を超えた交わりは本当に有難いものでした。
教会外では有り得ないことが、主の恵みの中で起こるのです。

 私たちは「4世代が喜び集う教会」を祈り求めています。この時代、社会が失いかけている世代間の交わりが、キリストにあって回復される。
そのような意味で、「4世代が喜び集う教会」の存在自体が、周囲の方々に対してチャレンジとなり、証しとなることだと思ませんか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年09月 | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

祈るところから始める

「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。」
(ルカ17:26−27)

 ノアが箱舟を作っていると「何でこんな森の中で箱舟づくりなんてするのか」と人々は不思議がったでしょう。
 日曜日には家でゆっくり過ごしたり行楽地で楽しんだりする代わりに、礼拝に集い、稼いだお金を献金し、貴重な時間を奉仕に費やす。
こうした姿を見て、周囲の人たちは、ノアの時代の人々が彼を見て感じたのと同じような印象を、私たちに対しても持つのではないかと思います。
でもイエスさまは、そうした生き方こそが、主の再臨を待ち望むクリスチャンの生き方だと教えられるのです。

 ノアの時代、箱舟に入れば救われました。全ての人たちに箱舟に入るチャンスも、入らないチャンスもありました。
 今の時代、「箱舟」って何でしょうか? それは教会です。ですから教会の奉仕に励むのは、まさに「箱舟づくり」に精を出していることでもあります。
 ご存じのようにイエスさまは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」と訴えました。
それは、「箱舟」に入らずに進んでいく先に「永遠の滅び」が待ち受けているからです。「滅びないで欲しい。永遠の命を手にして欲しい。」と願われたからです。
そして、それは神さまがあなたを愛されたからです。

 あなたはヨハネ福音書3章16節を腹の底から信じていますか?
寝室を共にしている家族、一緒に臼を引くように働いている職場の同僚たちに、あなたができる最高の親切。それは、彼らにイエスさまを紹介することです。

 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます」という約束を信じ、今日から名前を挙げて祈るところから始めましょう。そして、10月8日から始まる秋の歓迎礼拝にお誘いしてみましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年09月 | 更新情報をチェックする