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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
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2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年07月31日

選択

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ4:13)

 先日、教師をしている友人からこんなメールをいただきました。
「・・・「できない」と考えるのか、「できる」と考えるのか。問題に固執するのか、解決策に集中するのか。チームメイトのあら探しをするのか、チームメイトのいいところを探すのか。ないものねだりをするのか、あることの数をかぞえるのか。
限界をみるのか、可能性をみるのか。生徒に問いかけつつ、いつも自分にも問いかけた一年でした。どっちが正解とかありませんが、常に意識して後者の選択をしてきました。簡単なようで、かなり難しいです・・・。」
 思えば、私たちも、常にこの友人と同じような選択に直面して生きているように思います。そんな時、あなたはどちらを選んでいますか?

 使徒パウロの人生も、常に「選択」の連続でした。フィリピの信徒への手紙を書いていた時、パウロは獄中にいました。自由が奪われ、ローマ兵の監視のもとで生活をしていました。
さまざまなストレスがあったと思いますし、「もう駄目だ」と絶望するような場面が幾つもあったことでしょう。
でもパウロは、自分の限界や弱さばかりに注目してしまう、その視線を神さまの方に移していった時に、そこに「わたしを強めてくださる方」が共にいてくださることに気がついたのです。
 その結果、「獄中」という環境の犠牲者にならずに、むしろ「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」と告白できたのです。
 問題があることが問題なのではありません。むしろその問題をいかに解決するかの方が、よほどあなたにとっての大きな問題です。

 私たちは弱い土の器です。でもそうしたあなたと共におられ、あなたの味方なるお方は全知全能の神さまです。そのお方は、あなたを強め、不可能と思えることを可能に変える意志と力を持っておられるのです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年07月 | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

人生を総括するワン・センテンス

「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:24)

 創世記5章の系図には「○○は、△△を生んだ。○○は□年生き、死んだ」という表現が繰り返し出て来ます。まさに「塵にすぎないお前は塵に返る」のです(3:19)。
今の私たちとは比べものにならないほどの寿命の長さ、また子孫の数がある反面、この長い寿命、子宝の豊かさを一瞬のうちに吹き飛ばし、吹き消してしまうほどの死の現実、死の威力に圧倒されます。
こうした系図は、死の力のもとにあって価値ある人生とは何かを私たちに突きつけているように思うのです。そうした中、エノクの生涯を表現する言葉に心が留まります。
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」

 ところで、欧米では、その人の人生を総括するようなワン・センテンス(一文)を墓標に刻む習慣があると聞いたことがあります。この系図に出てくる1人ひとりの記録を墓標にたとえるならば、その中でひときわ輝きを放っているのがエノクの「墓標」でしょう。
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
 エノクの人生は、だれの目からも見ても神さまと共に歩む人生でした。

 ところで、きょうは、3つの質問をさせてください。
1.あなたは今までの歩みを振り返り、それをまとめるとすれば、どのようなワン・センテンス(一文)になるでしょうか?
2.あなたが刻みたいと願う一文を思い浮かべてください。どのようなワン・センテンスにまとめることができますか?
3.そうした生き方を主にあってさせていただくために、今日、始められることは何でしょうか?

 今日、どこかで時間を取って、イエスさまと一緒に考えてみたらいかがでしょうか。きっと素晴らしいビジョンが与えられることだと信じます!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年07月 | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

クリスチャンにとっての喜びの理由

「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

 『ビジョナリー・カンパニー』とか、『ビジョナリー・ピープル』という本で有名なジム・コリンズという学者がいます。コリンズは、この社会で、いわゆる成功している会社や人物に焦点を当てて、その共通項は何なのかを一生懸命研究した人でした。
 仮に旧約聖書の列王記の時代にジム・コリンズ先生がおられたら、オムリやアハブにその成功の秘訣を聴きにいったかもしれませんね。「どうしたら価値観の違いを乗り越えて、外国とうまくやっていけますか?」とか、「経済的繁栄と信仰を両立するにはどうしたらよいでしょう?」とか・・。
 でも、聖書を読むと、そこには歴然とした聖書の基準があります。それは、「主の目の前にどうなのか」という基準です。
この世の価値基準で成功を収めたかもしれないが、永遠の神の国の基準で見る時に、神さまの国の前進に貢献する歩みなのかどうなのか、が問われているというのです。

 ある時、イエスさまと弟子たちとが2階座敷に入った時、まず弟子たちがしたことは、まず目立つ座席を探すことでした。
それに対して、イエスさまがなしたことは、たらいの水と手ぬぐいを探し、弟子たちの足を洗うことだったのです。
 世間はあなたを、どれほどの人々に仕えてもらっているかによって評価します。でも神さまは、どれだけの人に仕えているのかに関心を持っておられるのです。
 たとえ、『ビジョナリー・ピープル』に名を連ねなかったとしても、あなたの名前は天の書物に記されている。イエスさまはそのことを喜ぶようにと勧めています。

 ところで、今のあなたにとって、喜びの理由はどこにありますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年07月 | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

お父さん、あなたの出番です

「父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」(エフェソ6:4)

 サムエルのこと、ご存知ですか?
 聖書が、「その言葉は1つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからべエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼に足る人であることを認めた。」と語るように、
その霊的影響の輪はイスラエル全体に広がるほどの人物、それがサムエルでした。
しかしそうしたサムエルも、私たち同様、深刻な悩みを持つ人でした。その1つが家庭の問題でした。彼は2人の息子のことで大きな苦労をしています。

 このようなことは聖書の世界でも私たちの周囲でも良く起こっていることかもしれません。信仰継承の難しさです。大事なことが伝わっていないという現実です。
 では、聖書は子どもたちを一方的に糾弾しているかと言えば、そうではありません。親であるサムエルにも責任があることを伝えているように思います。
 その理由の1つが多忙さでした。家にいる時よりも、巡回で家を留守にすることの方がはるかに多い状態でした。
 私たちも正直なところ、子育ての煩わしさを妻に押し付け、サッサと職場に逃げてしまいたいと思ったことはありませんか?
 子どもが大きくなるにつれ父親の出番が増えて来るものですが、サムエルの家庭は子育てをすべて奥さんに任せ切りしていたのでしょうか。
興味深いことに聖書にはサムエルの妻への言及が全くないのです。名前すら出て来ない。2人の関係を心配してしまうほどに名前すら出てこないのです。確かに彼は公人としては立派でした。
でも夫としての、また父親としての神からの召しをどのように受けとめていたのでしょうか?

8月は13日の日曜日にファミリーチャペルがあります。父親として、母親として、子どもたちとどのように生きていくことを、神さまは望んでおられるでしょうか。ご一緒に考えていきましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年07月 | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

御言葉をたくわえる

「わたしはあなたにむかって/罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」(口語訳 詩編119:11)

 ある日、カインとアベルはそれぞれの捧げ物をたずさえて神さまの御前にやって来ました。すると主はアベルの捧げ物に目を留めますが、カインの捧げ物を顧みることをなさいませんでした。
 カインとアベルの捧げ物のちがいはどこにあったのでしょうか?そのちがいとは、恵みの神さまへの感謝と献身の姿勢のちがいでした。
 さて、カインは、主が弟アベルの捧げ物に目を留めたことを不満に思いました。そして地に顔を伏せて憤ったのです。
主はそのようなカインを憐れみ、「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか」と問いかけ、怒りをおさめるようにと諭されるのです。
 でもカインは、そのような主の憐れみを振り切って、弟アベルを殺害してしまいます。彼の父母アダムとエバが罪を犯した後、わずか一世代で、罪が「殺人」という「実」を結ぶ事実に恐れを覚えるのです。
そしてこうしたことは、カインや彼の両親であるアダムとエバだけの問題ではなく、私たち自身の問題でもあります。

 さて、今日の聖句はそうした私たちに、罪から自らを守る具体的な方法を伝えています。それは御言葉を蓄えることです。この聖句を記したダビデも様々な経験を経て、神さまから教えていただいた知恵を語っています。
それが御言葉を心に蓄えることでした。

「わたしはあなたにむかって/罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」(口語訳)

 心に蓄えた御言葉は新たな行動へと導くことでしょう。その行動が習慣となり、あなた自身の人格を形成していきます。そして最後に人生の方向づけも定まっていくのです。その大事な一歩が御言葉をたくわえるところから始まります。
今日、この聖句をまず暗誦するところから始めてみませんか?

 いってらっしゃい。 

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年07月 | 更新情報をチェックする