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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年06月30日

環境の犠牲者にならないために

「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」(サムエル上3:10)

 E・ピーターソンは著書『若者は、朝露のように−思春期の子どもとともに成長する』で次のように語っています。
「聖書をよく読んでいくと、意外な真理が明らかになる。それは手本とすべき家族がないということである。聖書では賞賛の念を起こさせるような家族はひとつも登場しない。
多くの家族に関する話が書かれており、家族生活に関するかなりの数の言及があり、家族の成長に役立つ助言が述べられている。にもかかわらず誰もが尊敬の念を抱たり、妬むほど立派な模範的な家族はひとつも登場しない」
 そしてアダムの家庭から始めノア、イサク、ダビデ、最後にイエスさまの育った家庭にも触れていき次のように結論づけています。
「自分の家族がクリスチャンホームとして期待されている温かさや光に欠けているからといって自分を責め続ける必要はない。聖書に平和な家庭のモデルが描かれていない以上、目の前にあるもの
(それは言い換えるならキリストにある家族、信仰の家族として共に生きる新しい共同体の約束であるが)に心おきなく注意を向けることができる。
 共に生きる生活とは家柄によってではなく、神の恵みによって造り出される関係によって成り立っている。私たちは自分が善良だからではなく、赦されているから前進していくことができるのだ」
 サムエルの生い立ちも恵まれたものではありませんでした。父親が母以外の女性を愛さねばならず、預けられたエリの家には悪い兄たちがいました。
そうした中でも環境の犠牲者にならずに、主体的な人間として生きることができました。
それは常に「主よ、お話ください。僕は聞いております」との祈りを通し、その都度与えられた御言葉に導かれて生きたからです。

 7月のファミリーチャペルは9日です。家庭の問題、家族の悩みなどについて聖書のみ言葉からの導きをいただきたいと思います。ご友人をお誘いしてファミリーチャペルに参加しましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年06月 | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

祝福の言葉

「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」
(ルツ2:12)

 イエスさまは、人間の姿をとり、ヨセフとマリアの息子として生きてくださった方です。ローマの支配、偏見、不正など、弱い存在であるがゆえに、すべてをお受けになりました。ですから、私たちの弱さ、辛さをよく分ってくださるお方です。
 ルツ記に登場するナオミとルツの弱さに寄り添うボアズの姿は、そうしたイエスさまの姿と重なって見えてくることがあります。
 ボアズは神さまの温かな眼差しを、傷つき疲れた2人の女性に伝えたかったのです。ボアズはナオミとルツを、「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」と祝福しています。
 実は、この恵みこそ、私たちにとって本当に必要な恵みです。日々の生活で疲れ果て、傷ついて礼拝に来ることは、実は「主の御翼のもとに逃れて来ていること」なのです。主の御翼のもとにいる者とは雛のことです。親鳥の翼の外側は外敵から守る堅い羽で覆われ、そして内側は何と温かい柔らかな羽で包まれることでしょうか。
そうした主の御力と愛に対する信頼を思い起こさせる言葉が今日のボアズの語った祝福の言葉なのです。

 今日も、新しい一日がスタートしました。今すでに電車に乗って、このメールを見ておられるかもしれません。
 どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように! イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分報いてくださるように!
 これが、あなたのために、与えられている神さまからの祝福の御言葉です。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年06月 | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

クリスチャンに求められるべき3つのもの

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」
(エフェソ1:13−14)

 イエスさまを信じる者として、なるべくはやく導かれて欲しい成長のための3つのステップがあると思います。

 第1は、神さまはどのようなお方でしょうかということの確認です。
 羊はその飼い主の声を聞き分けることができるとイエスさまは言われます。
全員に対していっせいに声をかけられたのでなく、主は1人ひとりの名を呼んで召してくださったのですから、祈りの生活の中で「あなたは私の愛する者である」というはっきりとした神さまからの愛の御声をいただきたいと思うのです。
 第2は神さまにとって私はどのような存在なのでしょうかということです。羊には、所有者の焼印が押されていますが、私たちクリスチャンも神さまの所有を表わす聖霊の証印が押されています。パウロはローマの信徒に宛てた手紙で、
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と語り、神さまに自分の計画のすべてを明け渡して、委ねて生きることを勧めました。
 第3は、私への神さまの願い、神さまの期待はどのようなことなのでしょうということです。あなたは、ぶどうの木であるキリストにつながることで聖霊に満たされていきます。そのために、「生活の中で神を知る〜エクササイズ」の日々を過ごしていきましょう。
来月7月のエクササイズは、15日(土)、18日(火)です。日々あなたに主の恵みと平安が豊かにありますようにと祈ります。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年06月 | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

約束された聖霊を待ち望む

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(使徒1:4)

 およそ、福音と言うメッセージを満遍なく世界の人々に伝える、と言うことを考えた場合、今の時代に生きる私たちはどんなことを考えるでしょうか?
 教育機関を作り人材養成を進めたり、コンピューターを用いて個人的な接点を増やして伝道したりする方法も考えられます。飛行機で世界中をくまなく旅することも可能でしょう。あるいは多くの人たちと協力し組織的に進めることも必要でしょう。
ところがイエスさまは、そうしたことを一切、なさいませんでした。勿論コンピューターも飛行機もなかったわけですが・・・。
 イエスさまがなさったことは「無学な普通の人」と呼ばれた元漁師の人たちと徹底的に生活を共にしたことでした。それによって彼らがイエスさまに似た者になることを求められたからです。
そのために、どうしてもイエスさまと生活を共にし、イエスさまの御言葉によって直接養われる必要がありました。ところが、イエスさまが弟子たちを訓練し生活を共にした結果、本当に素晴らしい弟子たちになったかと言えば、残念ならが必ずしもそうではなかったように思います。
 イエスさまが十字架にかかるとき、弟子たちはイエスさまを捨てて逃げてしまいました。これが3年にわたってイエス様と生活を共にした弟子たちの現実でした。
 そうした現実を踏まえた上で、イエスさまが最終的に彼らに対して語られた言葉が、今日のみことば、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」ということでした。
結局、弟子たちは約束の聖霊をいただくことによって変えられていったのです。

 私たちにも、聖霊の油注ぎが必要です。「主よ、あなたの聖い霊で私を満たしてください」と祈りながら、今日の一日過ごしていきたいものです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年06月 | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

イサク症候群?

「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2:24)

 聖書の教える結婚の大前提に「親離れ」というものがあります。
 ところがイサクとリベカの結婚の場面にはそれが出て来ていない未熟さが感じられます。イサクがリベカと結婚した時のことを創世記は次のように伝えています。
「イサクは、・・リベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。」(24:67)
 イサクは母親の死によってぽっかりと空いてしまった心の隙間を、妻をもって埋め合わせしようとしたのでしょうか。
 ところで、最近、結婚しているのにしていないかのように振舞う男性が増えているそうです。確かに聖書には「結婚していないように振舞いなさい」と勧める個所があります。
でもそれは神に仕えるためだけであって自分が遊ぶためではありません。会社で「良い顔」するためでもありません。家のことを全部奥さんに任せ趣味のために自由に時間を使うためでもないのです。
 こうした行動を観察すれば、母親に甘えて育ってきた男性が結婚した結果、甘えの対象を母から妻に移したにすぎません。これを名づけて「イサク症候群」と呼びます。

 さて、高度経済成長期に育った男性の多くは偏差値の高い「良い学校」に入れば母親からチヤホヤされました。問題にぶつかった時は、父親の口癖(「お前が悪い」)を真似て「お母さんのせいだ」と文句を言って大きくなりました。
そのように我がまま放題やってきた男性が結婚した途端、今度は「妻のせいだ」、会社のことは「上役のせいだ」と言い始める。ちっとも自分のせいにならないような処世術を身に着けて生きてきました。これも「イサク症候群」の1つの表れです。

 ところで聖書はそうした生き方を「的外れ」と宣言します。あなたも私も、ここから解放されキリストに倣う者として生かされています。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年06月 | 更新情報をチェックする