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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
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2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年05月31日

魚のとり方を伝える時期?

「まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」
(マタイ7:11)

「病者の祈り」という詩をご存知ですか?

 大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに
 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
 偉大なことができるように 健康を求めたのに
 よりよき事ができるようにと 病気を賜った
 幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった
 世界の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった
 求めたものは1つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた
 神の意にそぐわぬ者であるにもかかわらず
 心の中の言い表せない祈りは全てかなえられた
 私は最も豊かに祝福されたのだ

 思いがけないかたちで、神さまはあなたを祝福されるお方です。
 ある時、イエスさまは群衆に向かって神の国の教えを語られました。
 「幸いです! 心の貧しい人たちは! 天の国はその人たちのものです!」
 その口から出た言葉は常識を覆すような内容でした。

 しだいに信仰の目が開かれていくと、今まで幸いだと思っていたことがそうでなくなり、逆に災いだと思ったことが本当は祝福なのだと実感することがありますね。
 しょっちゅうチョコやキャンディーをせがむ子に、愛する親であるならば、時には本当に栄養になる食物を提供することでしょう。
 タイのチェンライにあるYMCAの壁にはこんな言葉が掲げられているそうです。「1匹の魚を与えれば、人は一日で食べてしまうだろう。魚のとり方を教えれば、人は一生食べていけるだろう。」
 もしかしたら、今、神さまは「魚のとり方(最良のもの)」を伝える時期だと考えておられるかもしれませんね。
 神さまが今一番あなたに与えたいと思っていることは、何だと思いますか?
 今日、このことを心に留めながら歩んでみてください。

 いってらっしゃい

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年05月 | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

祈りによってあなたが変わる

「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(マルコ9:29)

 聖書は真の問題解決者がイエスさまであることを教えています。ですからあなたにとって一番大事なことはイエスさまに働いていただくことです。
そのためにイエスさまは「祈りに打ち込むべきだ。私の働きが現れるまで祈るべきだ」と教えておられます。

 ではそうしたイエスさまの働きがどこから起こるかと言えば、祈り始めたあなた自身の内から始まることを聖書は教えています。
 祈る中で私たちは、自分の限界を感じ始めることでしょう。何故なら自分の限界を感じた時にはじめて、イエスさまの働きを心底求める信仰が沸き起こってくるからです。
祈りが祈りとなるのは、どうしようもない現実に触れていただき、「足りないところを補ってください。自分は荷車を引きますが、坂道はしんどいですので、どうぞ後ろから押してください」というような祈りから、
次第に「自分はどうすることもできませんから、主よ、あなたが働いてくださり、あなたが主となってください」という祈りに変えられていくことでしょう。
 つまり、祈りを通して、救い主イエス・キリストとの関係が人生の主イエス・キリストへと変化していく経験をするのです。
 このようにして、神さまの御業が起こってくるために、祈るあなた自身が神さまによって取り扱われていきます。祈りにおいてあなたが変えられていくのです。

 では具体的にどのように変わってくるかと言えば、祈る内容が変わっていきます。その結果、あなたの人生も変えられていきます。
もっと正確な言い方をするならば、祈ることを通して、その人が何かをするのではなく、祈りを通して神さまにつながっていくのです。だから「変わるのだ」と聖書は教えるのです。
 こうしたことを踏まえて、何でもまず祈るところから始めていきましょうね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年05月 | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

よい記憶はあなたを生かす

「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす」(詩編42:5)

 詩編42編を読むと、魂が渇ききっていることを知った詩人が、真剣に自らの魂のために、執り成しの祈りを捧げています。
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう 『御顔こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ。」
 そうした中で、この時に詩人が特別にしていることがあるのです。それは「思い起こす」ということです。

 ある方がおっしゃっていました。「良い記憶は今の私を生かす」と。
 「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を 祭りに集う人の群れと共に進み 神の家に入り、ひれ伏したことを。」
 彼は今までの歩みを振り返り、本当に励まされた出来事、恵みを受けた経験、そして何よりもそのとき、そこに共におられた神さまのことを思い起こしているのですね。
ところが、残念なことに、心の目が開かれていないために、どの場面においても神さまが共におられることに気づかないでいることがあります。

 こんなことがありました。復活の主が「エルサレムに留まりなさい」と言われる前に、「まずガリラヤに行きなさい」と命じられました。
 ガリラヤ、そこはキリストと弟子たちの喜びに満ちた思い出の場所だったかもしれませんね。
そこに行くことによって、自分たちを招かれた時の主の真剣なまなざし、宣教から帰って来た自分たちの肩を抱いて迎えてくださったイエスさまの笑顔、
「ご苦労様」とねぎらってくださった優しさ、そうした記憶を思い起こすことができました。

 ところで、あなたの人生のガリラヤはどこにありますか? イエスさまの優しさに触れたのは、いつ、どこだったでしょう?
そうしたことを思い起こし、恵みを味わうことは、あなたの魂に力を与えることでしょう。

 今日、ちょっと時間を取って、神さまの恵みを数えてみませんか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年05月 | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

何も起こらない信仰生活

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。」
(ヨハネ14:23−24)

 「キリストを愛そうとはせず、自分のみを愛する者、あるいは、喜んでキリストを受け入れようとはするけれども、決して仕えようとはせず、服従しようともしない者は、キリストの言葉を決して守ろうとはしない。
それゆえ、そのような人には、何も起こりはしないであろう。」
 これはドイツの牧師、ボンヘッファーの言葉です。

 洗礼を受けたはずなのに生き生きとした信仰生活を送れない理由がここに述べられていますね。一言で言えば、イエスさまを主としない生活です。その結果、御言葉を読むのですが守るところまでいきません。
 十字架の前夜、イエスさまは弟子たちに対して最後の説教を語られました。今日の御言葉はその一節です。
 イエスさまを愛するとは、そのお方の言葉を守ることなのだ、と教えられました。そして、御言葉を守る恵みとして、父なる神さまの愛を深く体験し、その臨在の内に生きることができるというのです。

 ある研修会で、学生時代の恩師がマタイ福音書の宣教命令の箇所を読み、しみじみと話されたことを思い出します。
「今まで一生懸命に聖書を教えてきた。でもイエスさまの命令どおり、御言葉を守るように教えて来ただろうか、御言葉を生きるように説いてきただろうか」と。先生の話を聴き深く反省させられた経験を思い出します。

 ところで、あなたの信仰生活はいかがですか? 「何もおこらない信仰生活」となっていませんか?
 今日、立ちどまってあなたとイエスさまとの関係を顧みる時を持たれたらいかがでしょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年05月 | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

最初の一歩

「幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」
(2テモテ3:15)

 求道者の方から「聖書はどこから読み始めたらよいでしょうか?」と訊かれることがあります。私はマルコ福音書をお勧めします。まずはイエスさまのご生涯を大づかみにしていただきたいからです。
その後、ルカ福音書、マタイ福音書、ヨハネ福音書に進みます。そのようにして新約聖書を一通り読んで、創世記から始めて旧約聖書を読み始めてください。

 ところで、これも求道者の方からよく聞く言葉です。
「聖書を読んでも分からない。」
 そんな時、私は「キリスト教のシンボルは十字架ですね。礼拝堂に入ると正面に十字架があります。なぜイエス・キリストは十字架にかからなければならなかったのか? その問いを持って聖書を読んでください」とお勧めするのです。
 そうしていると、聖霊の導きの中、聖書が教える罪に気付かされていきます。その結果、十字架の謎が解け、なぜキリストが十字架にかからなければならなかったかの答えが分かってくるのです。
 そのようにして悔い改めと赦しへと導かれ、信仰のしるしとして洗礼を受けるのです。
 その結果、聖霊によりイエスさまの命が私たちに注がれ、神の愛を深く知らされていきます。神さまに愛されていることを知るなかで、自分を大事にし、他の人を大切にしたいと思う私に変えられていくのです。

 クリスチャンになる前は、人の目が全てで、人が見ていなければ何でもできるという倫理観がありました。でも、聖書を読み、聖霊に導かれる中で、心の内側に羅針盤のようなものが出来上がっていきます。
 このようにして信仰が少しずつ成長していくのです。その最初の一歩が祈りつつ聖書を読むことなのです。

 ところで最近、あなたの心に迫った聖書の言葉は何ですか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年05月 | 更新情報をチェックする