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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年04月28日

あなたを見ておられる神

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
(マタイ6:3−4)

 以前、敬愛する信仰の大先輩から「ANY WAY(でも とにかく)」というタイトルの詩を教えていただきました。マザー・テレサのメッセージを短くまとめた、次のような詩です。

 人々は、道理に合わず、非論理的で、自己中心になり勝ちです。
 でも、とにかく 彼らを愛しなさい。
 たとえ、あなたがいいことをしても、人々はあなたを告発しあなたを利己的な人だとか、秘められた野心を持つ人だとか言うでしょう。
 でも、とにかく いいことをしなさい。
 あなたの長い努力が生んだ良い実りも、人に無視され、明日には忘れ去られるでしょう。
 でも、とにかく いいことをしなさい。
 誠実・正直であるために、あなたが傷つけられることもあるでしょう。
 でも、とにかく 誠実・正直でありなさい。
 数年かけて、こつこつと築き上げてきたものが、一夜にして崩れ去るかもしれません。
 でも、とにかく 築き上げていきなさい。
 人々は、ほんとうに助けを必要としています。
 しかし、実際に手助けをすると、責められることもあるでしょう。
 でも、とにかく 手助けをしなさい。
 持ち物のなかで、一番いいものを人々に与えなさい。
 面と向かって苦情を言われるかもしれません。
 でも、とにかく 持ち物のなかで、一番いいものを人々に与えなさい。

 なぜ、こんなことができるでしょうか?
 それは神さまが知っていてくださる方だからです。神さまが見ていてくださるからです。神さまに覚えられ、そして隠れたことも全部御覧になり、知っておられる父なる神さまが、あなたに報いてくださるからです。
 このお方が、あなたと私の神さまです。何て素晴らしいお方ではありませんか!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年04月 | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

神に愛されていることから来る力

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。」(?ヨハネ3:1)

 ある美術館で青年が絵の前で立ち止まったまま動こうとしません。その目は涙が溢れていました。
 その絵とは荊の冠をかぶらせられたイエスさまの絵です。人々の笑いものにされ、棘だらけの荊の冠をかぶせられた頭からは血が流れ、顔は痛みで歪んでいました。この直後にあの十字架の苦しみが待ち受けていました。
 青年はその絵と出会った翌日から人生が変わりました。イエスさまの苦しみの意味、十字架の意味がはっきりと分かったからです。自らの罪の深さとそれを贖う十字架の愛に触れたからです。彼の名はツィンツェンドルフといいました。
 本物の愛に触れる時、あなたは自分が自分であることを喜ぶ者へと変えられます。愛の源である神さまに出会う時、人を妬む思い、羨む思い、軽蔑する思いから解放されます。
逆に、人を大事にし、良さを認め、評価し、愛する者へと変えられていく。神さまの恵みの福音にはそうした力があるからです。

 以前、テレビを見ていましたら、そこに世界的に著名なチェロの演奏家が出演し、素晴らしい演奏を披露していました。演奏の直前、司会者が、「これから演奏していただくのに、まったく緊張されていませんね。何故ですか?」と訊ねました。
すると彼は、「年を取ってきたからでしょう」と笑顔で答えた後、「自分を証明する必要性を感じなくなったのです」と結んでいました。
 躍起になって自らの力や立派さ、賢さや美しさを証明することから自由になった。つまり、人と比較して生きる生き方をしないで済んでいた。私は彼がクリスチャンなのではないかと思いました。
神さまが彼のすべてを御存知のうえで愛しておられる。その愛に触れていたからだと思います。
 そして神さまはあなたに対してもそうなのです。このこと、忘れないでくださいね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年04月 | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

渇きを癒すお方

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネ4:13−14)

 イエスさまに出会う前、あなたの心は渇きを経験していませんでしたか?もちろん、イエスさまに出会った後でも、さまざまな出来事のなかで、心の渇きを覚えることもあります。
それは、あなたが神のかたちに似せて創られていることの証拠なのです。人の心には、イエスさましか満たすことの出来ない渇きがあるからです。
 ですからイエスさまがくださる恵みの水を受ける前は、ありとあらゆるモノで渇きを癒そうとすることがあります。コマーシャルは、その商品さえ手に入れば幸せになれるかのように訴えます。
モノで心の渇きを癒そうとする結果、いつの間にか、それ無しではやっていけない、ある種の依存症、聖書の言葉を使えば「偶像礼拝」に陥ります。
偶像礼拝の特徴は「もっと、もっと」とエスカレートすることにあります。ある人はどれだけ稼ぐかによって自分の存在価値を見出そうとします。
ある人はクルマや腕時計、洋服や様々な装飾品など高価なモノを所有することで渇きを癒そうとします。でもしばらくすると、もっと高価なモノを欲しくなります。
 そのように「もっと、もっと」と渇きを癒す生き方の先に何があるのでしょう? 何もありません。CSルイスはそうした生き方の先は地獄だ、と言いました。
 イエスさまは、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われました。
イエスさまが与えてくださる生ける水であなたの渇きを癒してください。イエスさまは御言葉と祈りの生活を通して、あなたの渇きを癒すお方です。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年04月 | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

万事を益とされる神さま

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)

 イエスさまがお生まれになる7百年以上も昔、ヨナという名の預言者がいました。神さまは彼に敵国アッシリアの首都ニネベに行って宣教活動せよとの命令を与えるのです。
 ところが、ヨナはそれを拒否してしまいます。彼は自分の財産をはたき、ニネべとは正反対の、しかも当時船で行ける最も遠い町タルシシュ行きの切符を求め、逃亡するのです。
 ところが神さまは、こうした行動に出る子どもっぽい性格のヨナを、愛と忍耐をもって主の弟子へとつくり変えていかれました。

 では具体的にはどうされたのでしょう?まず神さまはヨナのために強い風を起こされました。また、お腹を空かせた大魚を用意されました。そしてその魚にヨナを呑み込ませます。
その結果、彼は魚の腹の中に3日3晩閉じ込められるという経験をしたのです。でも、それは彼にとって恵みでした。何故なら否が応でも神さまと直接向き合う状況に追い込まれたからです。
 時として、神さまは「強い風」や「大魚」を用い、予期せぬ仕方で、あなたを導かれるかもしれません。当初ヨナにとって、そうした経験はたいへん辛いものでした。
でも、それによって神さまはヨナを取り扱われ、「信仰の人ヨナ」へと造り変えられていきました。

 今日、あなたが直面する出来事が、神さまの御手に委ねられていく時に、その一見大変に思える出来事も、聖書の教える「万事」の中の1つとなるのです。その出来事さえも神さまによって「益」に変えられるのです。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
この約束の御言葉を握って、今日の一日過ごしてみましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年04月 | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

あなたと共におられる神さま

「わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である。」
(出エジプト記29:45−46)

 旧約聖書の神さまは厳しい神さまで、新約聖書の神さまは愛と恵みの神さまだ、という見方は、聖書の教える見方ではありません。旧約聖書を読むと、神さまがいかに恵み深いお方であり、本当に忍耐強くイスラエルの民を導き、養い、育てておられるかがよく分かります。
 金曜日に続き今日も出エジプト記から聖句を選びました。出エジプト記には、まさに「出エジプト」の出来事が出て来ます。荒野でマナやうずら、そして水を備えて民を守ったのは神さまでした。ご自身の御名を明らかにされ、神の民の装いにふさわしい生き方として十戒を与えてくださいました。
昼は雲の柱、夜は火の柱をもって旅を導かれたのも主なる神さまです。
シナイ山で主がモーセに十戒を記した石の板を受けている最中、民は醜い子牛の像を作って礼拝したのに対して、その罪を赦し、彼らとの契約を更新してくださったのも神さまでした。
もう数えきれないほどの恵みが記録されているのです。
 そして、こうした中で、何よりも大きな恵みは、主なる神さまこそ、私たちのところに宿り、常に共にいてくださる神さまであるということなのではないでしょうか。

 ある人がこんな詩を書いていました。
「神さまがおられないところなど、どこにもない。どこに行こうとも、そこに神さまはおられる。今も、そしてこれからも、神は力強い御手で、愛をもって私を支え、導き、守ってくださる。」
 今日のあなたにとって、神が共におられることは、どのような恵みの出来事だと思いますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年04月 | 更新情報をチェックする