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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
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2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年03月31日

心の中の物語を書き換える

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、」(ローマ12:2)

 人間とは物語によって生きている被造物だと言われます。両親から物語を聞かされ成長してきました。それによって人生を解釈し、どうあるべきかを判断してきました。
 “わたしは誰か”、“なぜわたしはここにいるのか”、“わたしは価値ある存在なのか” 、“大切なことは何か”、“成功者は誰か”というような大切な問いについての答えを、人生の早い時期から物語を通して獲得してきたのです。
 そして、その物語の内容や正確さにかかわりなく、一度、それが私たちの心深く根付くと、多くの場合、死ぬまでその人の内に留まり、何かの拍子に、その物語のテープにスイッチが入って、私の心の中で回り始めることがあります。
 例えば、そうした物語の典型が、「良い事が起こったら、次に悪い事が起こる」とか、「悪い事が起こったのは、罰が当たったからだ」とかです。こうした物語が私たちの人生を動かし続けることが多いのです。
ですから、正しい物語を獲得するということがどれだけ重要であるか、と言われるのです。

 では、正しい物語って何でしょう。それはイエスさまが語られた「物語」です。まず、私の心の内側にある物語に気づくことができるならば、それをイエスさまが物語られたことと照らし合わせてみることです。
なぜならイエスさまは世界が創造される前からおられ、なおかつ永遠なる神の子で、誰もイエスさま以上に、神さまのこと、そのお方のご性質、また人に与えられた人生の意義について知ることなどできないからです。
イエスさまの物語られたことこそが真理なのです。イエスさまご自身こそが真理ですから。ですからすべての鍵はイエスさまの物語られたことを私たちの心に受け入れることにかかっているということなのです。
来週から4月になり「エクササイズ」の学びがまた始まります。主にある交わりの中で、聖霊の助けによって、私たちの物語をイエスさまに書き変えていただくエクササイズに取り組みましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年03月 | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

自立すること

「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」(列王記上19:20)

 今日の聖句は、エリシャが預言者として召され、家族や両親に別れの挨拶をしたいと願った時に、エリヤがエリシャに語った言葉です。
 この時のエリシャにとってエリヤとは、自分を献身に導いてくれた大切な先輩預言者で、今後も指導を仰ぐべき師でした。
ところが、そのエリヤの口から「わたしが何をしたのか」と、突き放されるような言葉が飛び出したのです。
 何故でしょう? それは、エリシャを自立させるためだったからです。

 預言者の歩みには困難がつきものです。
だから御言葉と祈りを通して神さまにつながり、その都度、具体的な導きや解決、励ましや慰め、癒しを、直接、神さまからいただかなければ、預言者としての歩みは務まるものではないことを、
誰よりもエリヤ自身が経験していたからなのです。そうでなければ、すぐに自己憐憫や責任転嫁で、問題の解決をはかろうとしてしまうからなのです。
 少し冷たいように聞こえますが、「わたしが、あなたに何をしたのか」と突き放す言葉によって、若者エリシャを神さまにつなげることができます。
そして、そのお方に受けとめられ、優しくされ、ある時は褒めていただき、心の内側にある全部を受けとめていただいたうえで、
祝福にあずかる術を、預言者の見習い期間中に、ぜひ伝えたいと考えていたからなのです。
 この後、エリシャは自ら立ち上がり、従い、仕えて生きた姿を聖書は伝えています。
先輩エリヤに仕えることを通し、主なる神さまにお仕えして行ったわけですが、この「立つ」「従う」「仕える」という3つの動作を表わす言葉は、
実は私たちがクリスチャンとしてイエスさまに従って歩んで行く時に、繰り返し、繰り返し求められる動作なのではないかと思います。
 今日イエスさまはあなたに、どのような「立つ」こと、「従う」こと、「仕える」ことを願っておられるでしょうか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年03月 | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

もしイエスさまが共におられたのなら

「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(ルカ24:31)

 十字架の出来事の直後、2人の弟子たちは、肩を落としながらエマオに向かって歩いていました。
そこに復活の主が立たれ、聖書を説き明かし、パンを裂いて祝福してくださいました。その時、2人の目が開け、それがイエスさまだと分かった、というのです。
 この出来事を見る時に、人間って、本当に不思議だと思います。十字架の出来事以前、2人はイエスさまの弟子たちだったのです。
イエスさまと生活を共にし、イエスさまと顔と顔を合わせてお話を聴いていたはずなのに、ここで共に歩んでくださるイエスさまに気が付かなかったというのです。

 でも、どうでしょう。よくよく考えてみますと、この2人の弟子たちのことを、私たちは笑うことなどできないのではないかと思いました。
と言うのは、私たちもイエスさまが共にいてくださるにもかかわらず、イエスさまが共におられないような生き方をしてしまうことがあるからです。
 もしイエスさまが共におられたら、こうした私の感情の浮き沈みは起こるでしょうか?もしイエスさまが共におられたら、こんなにも簡単に私は誘惑に負けてしまうでしょうか?
もしイエスさまが共におられたら、何でこんなに必死になって友だちにメールし、電話を掛け、自分の気持ちを聴いてほしいと思うでしょうか?
 聖書は、イエスさまこそ、あなたの同伴者であることを教えています。イエスさまが復活されたということは、世の終わりまであなたの同伴者となるために復活してくださった、と言うことを意味します。
 今、私たちに必要なことは、エマオ途上の2人の弟子たちのように、心の目を開いていただき、イエスさまが共におられることに気づかせていただくことではないでしょうか。
 今日もイエスさまは、あなたと共におられます。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年03月 | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

あなたは誰? 神さまはどんな方?

「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」
(?ペトロ3:9)

 今日の聖句を丁寧に読むと、とても大切なことが分かります。
 私たちのすべきことは、悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いるのではなくて、あくまでも、祝福を祈る方を選んで生きるように、という教えですね。
何故なら、私たちこそ、祝福を受け継ぐために召された者だからだ、というのです。
 でも、そうは言っても、悪や侮辱に対して何かしてやりたい、と思うこともありますよね。実は、これに関して、パウロがこんなことを語っているのです。
 「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と主は言われる』と書いてあります。」
(ローマ12:19)

 つまり、悪や侮辱に対して正しい裁きをしてくださるのは神さまで、それは神さまの仕事であって、私のすることではない、というのです。
私がすべきことは、今日の聖句のように、祝福を祈ること。なぜなら、私たちがクリスチャンとして生かされているのは、まさにそのことのためだから、というのですね。
 聖書は時々、「あなたは誰ですか?」とか「神さまはどんなお方ですか?」と問いかけることがありますね。
そうした問いかけに対して、今日の御言葉は、「あなたは神さまから祝福を受け継ぎ、その祝福をもって、今度、他の人を祝福するようにと召された者です」、
「神さまこそ、正しく報いる方である」と答えるようにと促しています。

 さて、今日、あなたに対して悪いことや、もしくは侮辱されるような出来事に出合ったなら、今日のペトロとパウロが語った2つの聖句を思い出してみてください。

 ところで、あなたは誰ですか? あなたの信じている神さまはどんなお方ですか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年03月 | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

暗闇の中の光なるキリスト

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:15)

 創世記3章には、人間の堕落の記事が出て来ます。仲の良かったアダムとエバは、神さまの前で相手を非難する2人になりました。
人間の罪の故に、自然全体に大きな影響がもたらされました。本当に気持ちが暗く重くなる出来事が、創世記3章には綴られています。
 でも神さまは、このような暗闇の中に光なるキリストをお送りくださることも約束しておられるのです。それが今日の聖句です。
 「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」 これは蛇に対する裁きの宣告ですが、ここに突然「彼」という存在が出てきます。これがメシアです。

 使徒パウロは、この御言葉を受け、ローマの信徒への手紙の中で次のように語りました。
「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。」(16:20)
 エバの子孫とは神の子たちです。そして神の子たちは常にサタンの陣営からかかとを噛み付かれ、砕かれます。
そこに、ヨブ記や聖書全体に出てくる「義人の苦しみ」というテーマや「信仰をもったがゆえの苦しみ」というテーマがあります。
 それはまさしく、私たちがサタンの陣営から贖い出され、神さまの側に導かれた動かない証拠なのだ、と聖書は教えているのです。
 そして、この女の末としての「彼・メシア」が私たちに救いを与え、完成してくださる、という福音がここに語られています。
 私たちの救いは、壮大なスケールの中での出来事であることを教えられますね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年03月 | 更新情報をチェックする