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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
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2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2017年01月31日

神さまの計画実現のためのプロセス


「さて、二年たって、・・フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」(使徒24:27)

 パウロが第3次伝道旅行を終え、エルサレムに上京した際、異邦人を連れて神殿に入ったと言う嫌疑で逮捕されてしまいます。
その後、エルサレムの兵営で説教し、ユダヤ最高法院で弁明し、カイサリアに送られ裁判を受けることになりました。ところが、そこカイサリアでさらに2年間足止めされるのです。
この出来事は、人間的には時間の無駄としか思えません。しかし神の視点から見る時に、そこに周到な神による準備があったことに気づくのです。

 私たちは、それが後になってから気がつくのですが、その最中は、なかなか気づかず、不安に思い、投げ出してしまいたくなるような思いを抱きます。
 しかし実際にはそうした中で、神さまのご計画は着々と前進しているわけなのです。何故でしょう。それは、神さまの関心が、結果だけにあるのではなく、そのプロセスにあるからです。
 ここでパウロは、カイサリアにおいて2年間「足止め」されました。しかし、大きく豊かな神さまの目からご覧になったときに、神さまのなさることに何一つ無駄はないのであります。
実は、この2年間でパウロは、本当に素晴らしく霊性が磨かれ、この後、エフェソ、フィリピ、コロサイという獄中書簡を書くパウロへと練り清められていきました。
さらにまた宣教戦略の構想を練りあげ、そのための祈りの備えをする2年間であったと言えます。

 神さまは計画の前進と共に、計画実現のためのプロセスをも大事になさるのです。つまり、計画に参与する私たちを、その働きの中で成長させてくださるのです。
 もしかしたら、あなたも「無意味な足止め」を経験しているかもしれません。しかし、神さまは、その出来事をも次のステージへ行くための布石として用いられるお方です。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2017年01月 | 更新情報をチェックする

2017年01月30日

罪を示されたなら


「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(Tヨハネ1:9)

 アダムとエバは罪の責任を逃れるためにありとあらゆることをしました。アダムは「彼女が私にその木から取って与えたので食べました」と言って自らの過ちをエバのせいにしました。
それだけではありません。神さまに向かっても「あなたが私と一緒にしたその女が私に食べさせたのです」と、神さまのせいにもしています。
一方エバはエバで「ヘビがだましたので食べました」とヘビに責任をなすりつけました。心痛めた神さまは彼らの言い訳を取り上げようとはせずに裁きを宣告したのです。

 ある牧師は「私たちが経験する悲しみの原因の一つは自分がやったことなのに人のせいにしてしまうことにあります。罪が示されたのなら正直に告白し、神さまに赦しを求めなければなりません」と話していました。
私たちも「親が手をかけてくれなかったから」「友だちが意地悪だから」「子どもたちが反抗的だから」「上司が配慮に欠けた人だから」「理解のない伴侶だから」「毎日忙しいから」と言って誰かや何かのせいにしてしまいやすいものです。
でも本当の意味でキリストの恵みと平安をいただくためには、そうしたことを止め、自らの過ちを認め、素直な心で「ごめんなさい。弱い私を助けてください」と神さまに赦しと助けを祈り求めることが大切です。

 イエスさまが来られたのはあなたを裁くためではありません。あなたを救い、赦しを与えるために来られたのです。そのことを忘れないでくださいね。
今日の一日、キリストの恵みと平安があなたの心を支配してくださいますようにと祈ります。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2017年01月 | 更新情報をチェックする

2017年01月27日

神さまに愛されているあなた


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」
(イザヤ43:4a、5a 新改訳)

 イスラエルの初代の王はサウルです。彼は、「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。
民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった」と聖書に紹介されているほど、容姿端麗で人気があり、その結果、大勢の人によって推されて王になった人物です。

 しかし、王様になった後の彼はまさに見かけ倒しでした。「サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた」と聖書は伝えていますが、こうした彼の行動は自信のなさの裏返しです。
また、ある時、預言者サムエルがサウルに向かって語りました。「あなたは、自分自身の目には取るに足らない者と映っているかもしれない。
しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ」と。結局、サウルという人は、自分自身を取るに足りない者と見ていたということなのです。

 ところで、あなたは、ご自分のことを、どのように見ていますか? サウルと同じように「自分なんて取るに足りない」と感じる誘惑に負けていませんか?
でも神さまはあなたをどのように見ておられるのでしょうか? そのことこそ、サムエルがサウルに伝えたかったことなのです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ」。

 主にある自信をもって、今日の1日、雄々しく歩みたいものです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2017年01月 | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

神さまが用意してくださる武具


「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」
(エフェソ6:10−11)

 悪魔が恐れることは、あなたがぶどうの木であるキリストにつながっていることです。
あなたが「御言葉に生きよう!」と立ち上がると、「これは大変だ!」と悪魔も急いで立ち上がるのです。あなたが眠りこけていれば、悪魔も、動く必要がありません。寝た子を起こすことほど馬鹿げたことはないからです。

 では悪魔の策略って何でしょうか? 例えば、私たちの心を聖書や神学の知識、信仰生活に関する知識の蓄積のみに向けさせることです。
そのようにして「知的満足」や、何かをやり遂げた時に感じる、ある種の達成感に、私たちの心を縛り付けておくことができたら、悪魔は「してやったり!」と思うのです。
 ある人が「良い事と悪い事を見分けることは比較的たやすい。でも良い事と最善の事を見分けることほど難しいことはない。なぜなら、最善の事に対する敵、それこそ、実は良い事それ自体だからだ」と語っていたことを思い出します。
この言葉を借りるなら、悪魔は良い事であなたの関心、あなたのスケジュール、あなたの心を満たそうとします。それによって、あなたを、最も良いお方であるイエスさまから遠ざけようとするのです。

 私たちが生活している現実世界は、悪魔が考えに考えた策略が渦巻くところです。
でも、安心してください。悪魔よりも偉大なお方が神さまですから。そのお方が悪魔の策略に対抗するための武具を用意しておられます。
その武具こそが、「信仰生活の5つの基本」です。これによって最も良いお方であるイエスさまにつながり続けていきましょうね!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2017年01月 | 更新情報をチェックする

2017年01月25日

閉ざされた道の横に


「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。」(使徒言行録16:7−9a)

 使徒パウロはシラスとテモテと共に宣教のためにアジア州へ渡ります。ところが、そこで聖霊が彼らの歩みにストップをかけられたのです。
悪いことをしていてストップがかかるのは当たり前です。でも、宣教することは御心であり、地の果てまで福音を伝えることはイエスさまのご命令です。ところがその「イエスの霊」である聖霊が道を閉ざされたのです。
 しかし話はそれで終わりませんでした。そこで立ち止まり御心を求めて祈ったパウロに、今度は「マケドニアの幻」が示され、後の教会史に絶大な影響をもたらすヨーロッパへの伝道のきっかけが与えられていくことになりました。
ですから、あの時、道が閉ざされていなければ、そのことで立ち止まり祈ることもなく、ましてやヨーロッパ伝道につながる「マケドニアの幻」を示されることもなかったことでしょう。

 ところで、今、あなたは道が閉ざされるような経験をしていませんか?
私たちはだれでも、受験、就職、結婚、不慮の病など、そうしたことによって人生の岐路に立たされ、道が閉ざされるような経験をすることがあります。
でも振り返ると、道が閉ざされたことによって、より豊かな神さまの恵みにあずからせてくださったとしみじみ思える時が必ずやってきます。
ですから希望を持つことができる。ギリギリのところで失望せずに守られるのです。
なぜなら、閉ざされた道の横に、恵みの深みへと導く別の道を、神さまはあなたのために用意しておられるからです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2017年01月 | 更新情報をチェックする