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 ご覧いただきましてありがとうございます。月曜日から金曜日の朝に、当教会の担任牧師である松本牧師からのメーセージをお届けしています。
 この度、「日々のみことばのページ」は高座教会のホームページに移行することになりました。
2018年7月分からは 日々のみことばをご覧ください。
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2016年12月30日

系図をとおして学ぶこと


「ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。近所の婦人たちは、ナオミに子どもが生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。」(ルツ4:16,17)

 ルツ記は、系図をもって締めくくられています。
「ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。」(ルツ4:18−22)

 ボアズとルツの間に生まれたオベドはエッサイを生み、エッサイからイスラエル史上、王の王と呼ばれるダビデが生まれていくのです。
この系図は、のちにルツ記を読むイスラエルの人々にとって二つの意味で大変ショッキングなものでした。
 一つは、ルツがあの偉大な王様ダビデの祖父の母親であったという事実。
 もう一つは、ダビデを生み出す家系の中に二人の異邦人が入っていたという事実です。1人はモアブの女ルツ。そして、もう一人は「サルモンにはボアズが生まれた」とありますが、マタイの福音書第1章の系図によれば、「サルモンはラハブによってボアズを」となっていますように、このラハブという女性はカナン人でした。しかも、ヨシュア記によればこのラハブは遊女であったことがわかります。
私たちも自分ではどうしようもないと思える背景、環境があり、また能力にも限界があります。変えることのできないことのゆえに、悩みも大きいかもしれません。そして、周囲の目や、自分の心の奥にある劣等感のゆえに押しつぶされそうになることもあると思います。しかし、この系図を見る時に、神さまが教えてくださることは、その心が、まったく別のものの見方で支配される必要があるのだということだと思います。
この一年を振り返って見てみましょう。そして、その一歩一歩に神さまの恵みを数えてみましょう。
 今年は1日が日曜日で、新年礼拝・主日共同の礼拝があります。新しい年を新年礼拝・主日共同の礼拝で主を礼拝するところから共にスタートを切っていきたいと願います。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2016年12月 | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

共におられる神


「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。
あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。
そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」
(ヨシュア1:5−7)

 ヨシュアという人は、私たちが先輩の牧師からの言葉に耳を傾ける以上に信仰の先輩であるモーセから多くのものを学び、責任をもってバトンを受け継いで言った人物であったと思います。
 たとえばアマレクとの戦いの場面にヨシュアは登場します。モーセはヨシュアに自分は戦場には行かない、その代わりに神の杖を持って丘の上で祈ると約束しました。
その間、モーセは手を挙げて一生懸命祈ったのですが、当然、疲れてきて祈りの手が下がります。すると、イスラエルが劣勢になるのです。そこでアロンとフルがモーセの手を両側から支えました。
 イスラエルが優勢になったときは力強く祈られているとき、逆に劣勢になったときは祈りの力が弱っていたときと、後にヨシュアは聞かされたことでしょう。
 ヨシュアは常にモーセと共にいました。モーセの会見の幕屋を夜通し守ったのもヨシュアでした。
 モーセのそばにいつもついて、その祈りのすべてを見てきました。モーセが味わった困難も、喜びも、ストレスも、嘆きも、すべてを神の御前に祈り、注ぎ出すモーセの姿をヨシュアは目撃しました。
 「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう」との約束は、偉大な指導者モーセが死んで、途方に暮れていたヨシュアにとって、深い意味を持って迫ってきたことだと思います。
 ヨシュアと共におられた、このお方は、今日、あなたと共におられます。

 いってらっしゃい

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2016年12月 | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

苛立ちを覚えることが、あなたにとっての賜物?


「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、
奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。・・・」(ローマ12:6−7)

 以前、研修会でT・D・ジェイクス牧師の講演ビデオを観ました。その中でこんな話をしていました。

「教会の働きを見ていて、我慢できないことを見つけたら、それがあなたに与えられている賜物かもしれません。
たとえば、整理整頓ができていない様子を見て苛立ちを覚えたなら、神さまはあなたに管理の賜物を与えておられるかもしれません。
音をはずした奏楽や賛美を聴いて我慢できない感情がこみ上げてきたなら、あなたには音楽の賜物が与えられているかもしれません。
メッセージを聴ききながら、〈もっと分かりやすい話し方ができないのだろうか。私だったらこうするだろうに・・・〉と具体的に思い浮かぶならば、
あなたには教える賜物が与えられているかもしれません・・・。」

 あなたは教会の奉仕や働きを見て「わたしだったら○○○するのに・・」というような思いを抱いたことはありませんか?
もしかしたら、その奉仕があなたに与えられている神さまからの賜物を用いる場かもしれません。
神さまはそのあなたの賜物を用いて何かをなさりたいと願っておられるのではないでしょうか。一度、祈って考えてみてはいかがでしょうか?
神さまはあなたを必要としておられますから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2016年12月 | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

ご覧になり語りかけてくださるイエスさま


「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。」(マルコ1:16−17)

 宣教の初めに、イエスさまは、ご自分の同労者として4人の人を弟子としてお選びになりました。
 イエスさまがお選びになった最初の4人は、いずれも漁師でした。イエスさまはこの4人の漁師をご覧になったと聖書は伝えています。
 彼らの動き、その額に刻まれた皺、ごつごつとした手、日常生活に疲れたその背中をとおして彼らの心をもご覧になりました。
つまり、聖書が示すイエスさまとは「ご覧になるお方」です。イエスさまは、私たちをご覧になっている。イエスさまの目にあなたの姿はどのように映っているのでしょうか?
 イエスさまは外見だけでなく、私たちの内面をもご覧になるのです。
 仕事や人間関係に疲れていないだろうか? 痛みやストレスを抱えていないだろうか? あるいは、生き生きと過ごしているだろうか? イエスさまは見ていてくださいます。
イエスさまがご覧になるとき、その目に私の何が、どのように映っているでしょうか。ちょっと思い巡らしてみましょう。
 イエスさまというお方は、私たちをご覧になって知ってくださった上で、聖書の言葉を通して、今の私に必要な御言葉を語り掛けてくださるお方なのです。

 今朝のあなたの姿、あなたの心を、もう一度、イエスさまに見ていただきましょう。その上で、今のあなたに最もふさわしい語り掛けをいただこうではありませんか。
今日、イエスさまはあなたに何と語っておられますか。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:58| 2016年12月 | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

主なる神さまを覚えること


「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。
主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。
それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。 むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。
富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」(申命記8:12−18)

 今日の御言葉は、約束の地に入る直前に、モーセを通して語られた説教です。
出エジプトをしてから40年間、神さまの憐みと恵みに支えられてここまでやって来て、今、約束の地を目前にしたイスラエルの民に対して、新しい地を得たならば、
そこでどのように暮らし、どのように生きることが、神さまの民にふさわしい生き方であるか、神さまに喜ばれる生き方なのか、そのことをモーセは説いているのです。
 今日の聖句を見ると、食べ物、住まい、家畜、財産など、全ては神さまの祝福の結果であり、神さまからの賜物であることが確認されています。
詩編30編を記した詩人も、私たち人間が、いかに簡単に主の御業を忘れて、自分独りで何でもできると錯覚してしまう者なのか、それを次のように表現しています。
「平穏なときには、申しました 『わたしはとこしえに揺らぐことがない』と。」(30:7)
今日、「心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」との御言葉を心に留めて過ごしてみましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
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