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2017年10月20日

あなたの壺の油は十分ですか?

「愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」
(マタイ25:3−4)

 10人のおとめの内の5人はともし火と共に壺に油を準備していましたが、残りの5人はともし火だけで余分な油の備えはありませんでした。
 普通は、ともし火が目立つものですね。でもよくよく考えてみると、見える部分を支えているのが、実は外からは見えない油の存在です。
しかも見えないだけでなく、今日の譬え話で教えられているように、他の人が私に代わって用意できないものが油であるとイエスさまは教えてくださいました。

 そうした意味で、私たちにとっての油って何でしょうか?
 私は「関係」だと思います。人と人との関係、夫婦の関係や親子の関係、家族の関係や職場や学校での人間関係です。
場合によっては、自分自身との関係ということもあるでしょう。自分の心や体をどうメンテナンスしているか。
自分が抱える心配事や悩みとどう向き合っているか、そうした意味での自分自身との関係。
さらに、聖書は、目に見えない大切な油の1つとして、神さまとの関係についても教えています。
 こうした油は周囲からは見えません。でもあなたの働きや活動、日常の営みというともし火を灯し続ける大切な油なのです。
そうした油があるからこそ、やって行けるのですね。

 今日、もう一度、あなたの活動や働きを支える油が十分備えられているかどうか、点検する日にしてみたらいかがでしょうか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年10月 | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

従い続ける信仰

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。・・』・・アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」
(創世記12:1,4)

 ある日、主はアブラハムに対して「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と言われました。
「従っても、従わなくてもいいですよ」という選択を求めたのではありません。「行きなさい」と命令し、服従を求められたのです。そして「アブラムは、主の言葉に従って」旅立ちました。
 この時、すでに75歳でしたから老後の人生設計もあったでしょう。しかしそのことも神さまに明渡し、備えられた「もう1つの人生設計」にかけたのです。
何故なら、神さまの御計画はもっと豊かで、その人生設計こそが最善であるからです。

 1968年、メキシコオリンピックのマラソン競技の時に、先頭から1時間遅れで足を引きずりながらスタジアムに入ってきた走者がいました。
タンザニアのアクワリ選手です。スタジアムで彼を迎える観客もまばらな中、彼は最後まで走りきってゴールしたのです。
 ある人が訊ねました。「なぜ、こんなにも遅れて、途中で棄権するようなことは考えなかったのですか」。彼は答えました。
「私が選手として派遣された使命はスタートを切ることではなく、ゴールすることでしたから」。
 スタートを切らなければゴールすることはできません。同時にスタートしただけでは、自然にゴールすることも出来ないのです。
 アブラハムもスタートした後、約束の地を目指して神さまに従い通していったのです。
 私たちにとってのスタートはイエスさまを救い主、主と信じて洗礼を受けることです。でも、それで全てが終わるのではありません。
そこから、信仰生活が始まるのです。

 今日も、御言葉を通して導く主に従って歩んでいきたいですね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年10月 | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

神の手に刻まれているあなた

「見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。」(イザヤ49:16)

 こんな話がありました。
 フェニックスという町で、1つのセミナーが行われました。講師はテーブルの上にあった1つのバイオリンを手にとって皆に見せたそうです。
それは古く、ネックが折れ、ひどいバイオリンでした。講師はそのバイオリンを皆に見せた後、「これ、いくらすると思いますか?」と訊きました。
ほとんどの聴衆は「2〜3千円でしょう」と笑いながら答えました。
 その時、講師がバイオリンの内側を覗き込み、そこにある文字を大声で読み上げました。「1723年アントニオ・ストラディバリウス」。
実はストラデイバリウスのバイオリンは世界に6百ほどしか残っておらず、3億から30億もするそうです。
バイオリンの価値に気づいた聴衆の1人にバイオリンが手渡されると、その価値を知った後でしたので宝を扱うように、それを受け取りまじまじと眺めたそうです。
そのバイオリン自体何も変化しなかったにも関わらず、です。

 あなたは自分を「せいぜい、2、3千円くらいの価値でしょう」と思っていますか?
それともあなたの本当の価値をご存じの神さまが「あなたは高価で尊い」と語り、「わたしの手のひらに刻みつける」と言われる御声に耳を傾けるでしょうか?
 母親は子どもを遠くへ送った後、一時も子どものことを忘れないようにと、自分の手のひらに、その子の名前を書くでしょう。
しかし神は、忘れないために最初からあなたの名をご自分の手のひらに刻んでおられるのです。つまり、あなたはそれほどまでに神さまに大切にされている存在なのです。 何と素晴らしいことでしょう!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年10月 | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

イエスさまが称賛する賢さ

「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16:13)

 詩編にありますように私たちの齢は70年です。
そして長生きする人々も80年ほどのものでしょうと書かれておりますが、この地上での70年ないし80年の人生における成功や出世が私たちの人生の目的そのものでしたら、天に宝を積むようなことは出来ないかもしれません。
言い換えれば、信仰を学ぶことが、二の次、三の次になってしまいます。
 でも、私たちは神の子、キリストの弟子ですね。天にも国籍があるのです。

 伝道において大きな成果を上げて誇らしげに帰って弟子たちにイエスさまは「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言われました(ルカ10:20)。
 天国に国籍のある私たちは、神の国が、信仰が目的ですから、いい時も悪い時も、信仰を学ばせていただくよいチャンスとして、神との出会いの時として、これを用いていきます。このことこそ、神の子の特権だからです。
 聖書は、私たちが天に宝を積むようにと勧めています。なぜなら、天につながる生き方が賢い生き方なのです。この数十年間だけの仮住まいのこの世において、金儲けやお金を貯めこむことが目的ではありません。
出世することや、名を残すことでもありません。むしろ神の国の前進のために、神との出会いの時を得、そして天に宝を積むことが大切なのです。

 あなたも、永遠のスパンで与えられている富や時間を用いる、クリスチャンスチュワードとして今日の一日も生かされているのです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年10月 | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

イエスの父として召された男

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」
(マタイ1:18)

 英語の「ハッピー」は、「ハプニング」という言葉から出来ていると聞いたことがあります。母親の胎に新しい命が宿ることは、本来、幸せをもたらす出来事です。
でもこの時のヨセフには失望のハプニングにすぎず、あまりにも残酷でショッキングな出来事でした。
 マリアから「受胎告知」の話を何度も聞かされていたことでしょう。でも大きくなったマリアのお腹を見ると、それは全く別の事実を物語っているようにしか思えなかったのです。
 そのヨセフを聖書は「正しい人」だったと紹介します。この「正しい」というギリシャ語は「あわれみ深い」という意味もあるそうです。ヨセフは神の律法に対する「正しさ」とマリアに対する「あわれみ深さ」の板挟みの中で苦しみました。
そして、いつしか疲れ果て、眠りこけてしまったヨセフに、夢の中で天使が語りかけるのです。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1:20〜21)

 眠りから覚めたヨセフは、この信じられないような出来事を愛する婚約者と分かち合えるようになったのです。彼は迷わずマリアを妻として迎え、胎の実が救い主であることを認め、彼女を守り、救い主誕生のためにベストを尽くしていったのです。
 この後のヨセフに関する記述を見ると、御心が明らかにされていくたびに、躊躇する事なく神に従っていくヨセフの姿が紹介されています。
 こうしたヨセフの姿は、私たちにとっての模範でもあります。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘
posted by 高座教会 at 06:59| 2017年10月 | 更新情報をチェックする